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堀ちえみが「急性膵炎」で命の危機に陥った

単なる胃の痛みだと思って放っておいたため、命の危機に陥ったのが女優の堀ちえみさんです。急性膵炎は放置してしまうと、さまざまな臓器に異常が発生。最悪の場合、わずか数日で命を落としてしまうこともあるのです。堀さんを襲った急性膵炎を詳しく見ていきましょう。9月8日放送『主治医が見つかる診療所』の「単なる胃痛と間違え…死に至る!“すい炎”早期発見法」で紹介されていました。



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堀ちえみが「急性膵炎」で命の危機に陥った


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堀ちえみを襲った命の危機とは?

堀ちえみさんを命の危機が襲ったのは、いまから13年前の7月。34歳のときです。当時は4人の子どもの育児を行いながら、仕事をこなしていました。そんな忙しい日々で感じていたある胃の不調が始まりです。

キリキリ痛むときもあれば、食べたあとに重いような感じを受けたり…そんな不快感がずっとあったといいます。それまでも疲れがたまると、よく胃のあたりに痛みをかんじていた堀さん。いつも市販の胃薬で対処していました。

しかし、いつもなら2~3回飲めばピタッと止まっていたものが、この胃痛は薬がまったく効きません。ダラダラずっとおかしな感じだったとか。しかもその後、新たな異変が現れます。

食べたあとに背中の真ん中あたりが痛くて、押したり叩いたり、柱やタンスの角でグリグリ押し付けたりしていたほど。ところが、背中を叩いたりすると痛みはすぐに治まったといいます。

膵臓の位置


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堀ちえみは胃のあたりで爆発を感じた

そして、最初に痛みを感じてから3週間後、胃のあたりの不調は続いていたものの、堀さんは以前から家族で計画していたグアム旅行へ出かけます。久しぶりの楽しい家族旅行でしたが、この旅先でさらなる異変がおこったのです。

それは一緒に旅行していた友人の「お腹出てない?」という指摘で初めて気づいたもの。お腹の上の部分がポコンと腫れているような感じでした。友人から指摘されるほど、目に見えてぷっくりとお腹が膨れていたのです。

さらに、もう1つの症状が現れていました。旅行のあいだずっと、トイレに行っては冷や汗をかくほどお腹を下していたのです。雑巾をガーッと絞られるような痛みが、トイレに行ったときだけあったといいます。

そして帰国の途に着いた堀さんは、まさに空港に到着した直後に体調が急変します。飛行機のドアが開いた瞬間に、内臓の胃のあたりでボンッという爆発を感じたのです。音はしませんが、音が聞こえるような破裂を感じたのでした。


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急性膵炎がさまざまな異常の原因

いままで感じたことのないお腹の中からの衝撃。しかも、帰りの電車の中でさらに悪化します。胃のあたりに冷や汗が出るほどの急激な激痛が襲います。そして痛いとおさえると、お腹が少しずつ膨らんできたのです。その大きさはなんと、臨月のときと変わらなかったといいます。

あまりの激痛で意識がもうろうとしながらも、堀さんは子どもたちを連れてなんとか帰宅。しかし、そのまま倒れこんで動けなくなってしまいました。

そして、身体にさまざまや異常を引き起こしていた意外な病気の正体が判明したのです。それは「急性膵炎(すいえん)」。急性膵炎で膵臓(すいぞう)が破裂していたのです。

急性膵炎とは、膵臓が分泌する消化液・膵液が何らかの原因で内部であふれてしまい、膵臓自らを溶かしてしまうという病気。さらに進行すると、漏れ出した膵液が周りの臓器までも溶かしてしまうのです。


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絶飲食がつらい急性膵炎の治療

堀さんの場合、漏れ出した膵液に肺や腎臓、腸までもが溶かされはじめ、激痛がおきていました。そして、ダメージを受けたおなかに腹水といわれる水がたまりはじめていたため、どんどん膨らんでいたと考えられるのです。

そのまま緊急入院。急性膵炎の治療は痛みと炎症を抑える薬を点滴し、膵臓が回復するのを待つしかありません。さらにもう1つ、つらい治療があります。ずっと絶飲食で、飲まず食わずの状態なのです。

最初はうがいも許されませんでした。食事をとると膵液が分泌されてしまうため、食べ物はおろか飲み物すら口にすることができないのです。膵臓が回復するまでいっさいの食事と飲み物は禁止。その期間はなんと、1ヶ月以上にも続きました。

こうして40日間にもおよぶ絶飲食を終え、急性膵炎による命の危機から無事に生還した堀さん。退院2ヵ月後には仕事にも復帰することができました。


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堀ちえみを急性膵炎が襲った時期

そんな堀ちえみさんは、1967年生まれの大阪府堺市出身。1981年に開かれた第6回ホリプロスカウトキャラバンの優勝をきっかけとして芸能界入りしました。1983年にTBS系列で放送されたドラマ『スチュワーデス物語』に主演して大ブレイク。「教官!」「ドジでノロマな亀」の台詞は流行語になりました。

1987年に電撃引退したのち、1989年に外科医と結婚して3児をもうけたものの1999年に離婚。2000年には雑誌社勤務の男性と再婚して2児をもうけました。2010年には2度目の離婚。2011年に一般男性と3度目の結婚をし、相手の連れ子2人を含めて7人の母となっています。

今回の急性膵炎は2001年の7月におきたもの。二度目の結婚をしていた当時の話です。ちょうど14年ぶりのシングルをリリースする前後。そんな忙しいなかでおきた命の危機なのでした。

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